知能検査と社会

近代以前には、人間の身分は固定的であり、地理的移動も限られており、
個人の進路選択はそれほど自由ではなかったから、
職業などの将来像は事実上決まっていました。
そうした世界には客観的な人間の理解(知能検査など)は不要だったのです。
しかし近代社会においては、個人は階級、出身地、宗派などの属性から切り離されて
個人として振る舞うことが容易になり、
進路なども含め、自分のことを自分で決めることが可能となり、自己決定が尊重されるようになったのです。
各人が平等であり進路選択などの機会が均等に与えられることは民主的体制の根幹であり、
封建時代の専制君主制と比べた場合、明らかな利点があります。
とはいえ、機会均等のもとで希望が重なる場合には競争が生じ、評価の問題が立ち上がります。
その際に評価されるのは家柄とか性別ではなく個人そのものであるべきだから、
諸個人の内部を公平に扱う必要に迫られ、科学的な測定が必要とされるようになったのです。