金は天下の回り物とか正負の法則とか

否定するわけではなくてですね、今日は肯定する話なんですが、
こういう今ひとつ根拠が良く分からん話ってのが、世にはあるわけですが、
論理で考える人からすると、こういう話は嫌なんですよ。
理由が分からんからです。
うちの相方なんかがお金は使わないとダメだとか、
いい物を買って長く使うとか、毎回言い訳しながら物を買うわけですが、
それはそれで正しいかも知れないというような理屈をふと思いついたので、書いてみます。

世の中の人は大概なんか欲があって、知識欲やら物欲やら色々あると思います。
たぶん世の中の大多数のお金持ちだった人や権力者は、
ほとんどの場合は世代を超えて末永く金持ちであり続けることは、
少ないのではないか?という前提で話を進めるけど、
なんつーか高いエネルギー状態ってのは保ち続けるのは難しいってのが、
自然の摂理なんではないかな思うわけで、
知識欲や物欲等から生じるエネルギーやステータスも非常に高く保ち続けるのは
困難であり不幸を招くって結論に達するのではと思っただけです。

今勤めている会社はかなり特殊な電池を使って動作する装置も扱ってるんだけど、
そのクソ高いバッテリーってのも1年ぐらいで自然放電しちゃうわけで、
その状態を保ち続けることって不可能なんです。
充電池だって放電するし、それを保ち続けるには充電という作業を続けねばならないわけで、
良くは知らないけど、ガソリンなんかの発揮性の物質も不安定なように思える。(この辺はよう知らん)
ナトリウムやマグネシウムプルトニウムだって、
エネルギーとして使える状態では世の中に存在するのは難しいわけでしょ?

お金なんかも貯めれば貯めるほど、おそらく精神に与える影響も大きいわけで、
そのエネルギーに耐えるだけの精神を発達、維持するのもまた大変なわけで、
その状態で凡人の持つような良識を保ち続けるのもまた難しい。
俺は天才金持ちで、愚民は不遇な人生で当然!と思って生きて楽しいとは思えないし、
それは既に精神を病んでるってカテゴリに入っちまう様に思う。
そうは思いたくないから金持ちの慈善事業ってのがあるのも良く分かる話かも。

おいら、結構長生きしたいって欲もあるんだけど、
最近子供も出来て、こういう欲もあまり欲張ると多分碌なことにならんかもなと考えになりつつある。
自然に生きて天寿を全うして死ねば、まぁ、それでいいかと思えるようになった。
まぁ、もう少し自分の納得いけるところまで、肉体的実験をしたいって気もあるし、
もうちょっと賢くなりたい気もする。
しかしながら正直今のおいらに司法書士試験は無理だわ。
それはおいらが無能だからではなく、それが今の社会におけるおいらという人間の、
或いは凡人のおおよその限界だと思うわけです。
生活しながら、英語能力ひとつを特定状態に保っておくエネルギーだけでも結構馬鹿にならんということです。
社会がもっと発達すれば、誰それというわけではなく、
誰もがもっと多くの知識を習得できる時代がくるかもしれないね。
相方に関しては子供に手がかからなくなれば、なんかもうひとつぐらい能力をゲット出来るかも。

しかしながら、魔女の宅急便を15年ぶりにみてほとんど内容を忘れているという事実は、
結局固体にたいした意味はないって結論に至る気がする。
だってよ、人が死にたくない理由ってのは記憶や知識を、
ひとつの意味ある系譜として保存できるってところにある気がするんだ。
痛いってのもあるけどよ。
もっと人が長生きできれば、お利口さんが増えて、戦争だってしなくなるかも知れないと思うけど、
実際は年寄りの思想が硬直していることの方が社会の発展を阻害しているようにも思うし、
どっちが正しい論理かは確かめようもない。
前者が人間の欲の理想であり、後者が長年人間が生物学的に歩んできた道って事ですかね。
生まれ変わっても、また一緒ねって話もですが、
肉体を失うのはともかく、記憶や習性を失ってしまっては、輪廻転生する意味も多分ない。
それだったら、輪廻転生してもしなくてもどっちでも良いじゃん。
輪廻転生を望む人は習性のみは引き継ぐものだというコンセプトなのかな?
まぁ、タイトルにあるような言葉は、地獄絵図みたいに、
字が読めなかった昔の人用の教育資料みたいなものなのかもしれませんが、
何気に世の中を生きていくうえで、おいらが目障りだなぁと思っていたものに、
それなりの意味を見出せて今日はお休み。