slide100への回答2

http://d.hatena.ne.jp/chimo/20110215/p2
のコメント欄の続き。
んー、やっぱ幸福の観点から安易な少数派の犠牲は否定できないと思うんだよな。
すべてが功利主義的に数量化されているとして、
少数派犠牲がポイントが-90で全体快楽向上率が100だと少数派を犠牲にして、
前者が-120で後者が80だと少数派を助けるとかなっちまうもんな。
男は社畜ATM、女は肉便器の産む機械でも、全体数量的幸福からすれば、
芥子粒ほどのことですって言われるわな。
でも逆に言えばカントは、1人の犠牲で世界を救うことが出来たとして、
世界が1人生贄を選んだ場合はそんな世界滅んでしまえという、
極端な思想に聞こえるんだよな。
でも、厳密には違うんだよ。
カントは人間は第一に感性界(自然法則、因果律、物理学、生物学、神経学)に属し、
二時的に英知界(自然法則の影響を受けない世界)に属しているって言っているから、
だから現世は所詮は世知辛いわけだ。
功利主義や科学は感性界では通用するけど、英知界は自然法則外だから、
いつまでたっても心がすべて解明されることはないんだよな。
心の感性界たとえば経験則、神経学、心理学は功利主義なり科学で解明できるだろうけど、
まったく意味のない行為、自由行動(道徳も感性界的意味がないから自由行動)を
行ったとしたら功利主義や科学では手のつけようがない。
ま、多分なんだが、カントは統一した見解が功利主義より優れており、
厳格な部分は実は努力目標って事になるのかもしれない。
そういうとえらくゆるい気もするが、
英知界に近いのやつも遠い奴も英知界目指してがんばれ!
って感じじゃない?それこそが人生の真の目的であり、快楽以上の価値なのです。
って事かな?そういう理解が一番納得できる。